【横根の競馬】和泉町
春の桜で知られる横根稲荷神社は和泉全戸が氏子であり、社有地も4000坪(13,000平方メートル)ほどあった。ここの春祭の余興に行われた草競馬は「ぐるまの旗競馬」といわれ、東は港南区、西は元高座郡あたりからも見物人が詰めかけ、露店や見せ物小屋などもかかり名代だった。最初のうちは鉄砲馬場(コースが直線で行き放し)だったが、明治初期に社殿を中心にしての廻り馬場に改められた。本部前には賞品の旗や吹流しがひるがえり、観客の熱狂ぶりに空でさえずる雲雀も声をひそめたかに感じられた。
この多数集まる老若男女の群にまぎれて、しばしば嫁えらびが行われた。娘たちは親に「きれいになって行けよ」と諭されたそうであるが、それがいつしか「見合馬場」「見合いまち」「嫁見のまつり」などといわれるようになった。しかし、昭和12年頃から緊迫した世相のため競馬は止めになり、馬場も畑と化した。
また、東側の富士山(ふじやま)山頂にあった航空灯台も、敵機の目標になるとのことで取りこわされてしまった。
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